萩焼(はぎやき)は、山口県萩市を中心に発展したやきものである。慶長年間(1596〜1615年)に毛利家の御用窯として開かれ、古田織部の没後に成立した。桃山茶陶の革新期を経たのち、織部が体現した「侘び」の精神を受け継ぎ、小堀遠州の「綺麗さび」へと連なる。柔らかな白釉と貫入の表情には、動的な桃山の造形が静けさのうちに溶け込み、織部の美意識の余韻がやさしく息づいている。
1. 起こり ― 毛利家の御用窯として
萩焼の起こりは、文禄・慶長の役ののちに朝鮮半島から渡来した陶工たちが、毛利家の庇護のもとに築いた窯に始まる。李勺光・李敬兄弟らによって開かれたこの窯は、朝鮮陶の技法を基礎に、やわらかな白釉を特徴とする独自の様式を生んだ。備前や伊賀のような焼締の力強さとは対照的に、萩はしっとりとした質感と淡色の表情を重んじた。
釉の下から透ける胎土の温かみと、使い込むうちに変化する貫入(かんにゅう)の景は、茶人のあいだで「萩の七化け」と呼ばれた。茶を重ねるごとに色が深まり、器と時間とが対話するようなその変化は、江戸初期の静謐な茶風を象徴するものであった。

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※ 朝鮮井戸茶碗の形を踏まえつつ、白萩釉のやわらぎで侘びの継承を示す。
2. 織部の精神から遠州の美へ
萩焼は、古田織部の没後に登場したが、近年の研究(小山, 2014)では、織部周辺の陶工集団が九州にも渡り、福岡の高取焼(内ヶ磯窯)を経由して桃山茶陶の造形理念を伝えた可能性が指摘されている。
こうした流れのなかで萩もまた、織部が拓いた「自由な造形」と「侘び」の精神を受け継ぎ、小堀遠州の「綺麗さび」へとつながる静かな様式を形成した。
淡い乳白釉が裾にたまり、わずかに歪んだ口縁が人の手の温もりを伝える。華美ではないが、使うほどに深まる景と手触りは、遠州が重んじた「用の美」とも響き合う。萩のやわらかな土味は、まさに「継承された侘び」の姿そのものである。

所蔵:東京国立博物館(管理番号 G-4960)
出典:ColBase(国立文化財機構)
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※ 柔らかな白釉と非対称の形に、初期萩の「継承された侘び」が宿る。
3. いまに息づく萩の伝統 ― 静けさの美学
江戸期を通じて、萩焼は茶人に重んじられ、遠州流や表千家・裏千家の茶会で愛用された。桃山のような革新ではなく、萩は「継続の美」を体現し、静かに時を重ねることの尊さを示した。使い手とともに変化する景こそ、萩が伝える侘びの本質である。
現代の萩では、三輪休雪・坂高麗左衛門らがその伝統を受け継ぎ、やきものとしての精神性をさらに探求している。白釉のやわらかさと貫入の繊細さは、いまもなお「侘びのやわらぎ」として、茶の湯の世界に息づいている。
📚参考文献
- 田中信夫『桃山の陶芸 美の頂点』淡交社, 1983年。
- 山根有三『日本の茶陶と萩の伝統』講談社, 1992年。
- 矢部良明『古田織部―桃山文化のプロデューサー』角川叢書, 1999年。
- ColBase(国立文化財機構):「抹茶碗(萩焼)」奈良国立博物館。
- Wikimedia Commons:「茶碗(萩焼)」東京国立近代美術館工芸館。
- 小山亘『「織部好み」の謎を解く ― 古高取の巨大窯と桃山茶陶の渡り陶工』忘羊社,2024年。