古曽部焼(こそべやき)は、大阪府高槻市・古曽部の地で17世紀に栄えた陶器である。瀬戸・美濃系の技術を基礎としつつ、京焼や高取焼と通じる上品さと洗練をそなえ、江戸初期の「武家茶」から「数寄の茶」への転換期を象徴する窯として知られる。その淡い黄釉と理知的な造形には、南蛮的な豪快さとは異なる、近世初頭の“理の美”が息づいている。

所蔵:奈良国立博物館(Nara National Museum)
出典:ColBase(奈良国立博物館)
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1. 起源 ― 高槻藩と上方茶の交錯
古曽部焼の開窯は慶長末から寛永年間(17世紀前半)とされる。当地は西国街道に面し、京都と大坂の中間に位置するため、茶道文化・陶技・流通の結節点として早くから発展した。伝承では、高槻藩主永井氏の庇護を受け、京焼の陶工を招いて御用窯を築いたといわれる。のちには「古曽部御焼」「古曽部焼御茶碗」と呼ばれ、武家や公家にも愛好された。
当時の上方では、野々村仁清(にんせい)や尾形乾山らによって、色絵・金彩を駆使した雅やかな京焼が隆盛していた。その一方で、古曽部焼は華やかさよりも造形の均衡と釉調の調和に重きを置き、いわば“京の理知派”ともいえる位置づけにあった。
2. 釉薬と造形 ― 理と感のあわい

所蔵:アムステルダム国立美術館(Rijksmuseum, Amsterdam)
出典:Rijksmuseum/ライセンス:CC0 1.0(パブリックドメイン)
古曽部焼の特徴は、灰釉や淡黄釉(たんおうゆう)と呼ばれる柔らかな色調の釉薬にある。素地の鉄分が透けることで生まれるくぐもった光沢は、瀬戸の志野釉や高取の藁灰釉にも通じるが、その発色はより理性的で均整を重んじる印象を与える。装飾には鉄絵や簡素な文様が施され、筆致に理知的な抑制と静けさが漂う。
アムステルダム国立美術館所蔵のこの茶碗(上図)は、淡黄釉地に鉄絵の草花を描いた典型的な作例である。口縁をやや反らせ、腰を締める造形は精妙で、理と感性の均衡が息づいている。まさに古曽部焼の理念を象徴する作品といえる。
3. 他窯との関係 ― 高取・京焼との連続性
古曽部焼は、九州の高取焼や京都の御室焼などと同様に、遠州流の茶風に呼応した上方系の窯として位置づけられる。高取焼の端正さと、仁清焼の洗練の中間に位置し、より抽象的で思索的な作風を示した。こうした性格から、古曽部焼は「理知の美を体現する焼物」と評され、近代の茶人や研究者の注目を集めてきた。
4. 衰退と再興
18世紀に入ると、古曽部焼は幕藩体制の変化とともに衰退したが、近代になってから高槻市や地元陶芸家による復興が試みられた。今日では、郷土資料館や陶芸愛好家によってその技法が再現され、「上方陶の忘れられた知性」として再評価が進んでいる。
📚参考文献
- 高槻市教育委員会『古曽部焼の研究』、1982年。
- 福岡県文化財調査報告書『高取焼と黒田藩の茶道文化』、1998年。
- 東京国立博物館『茶の湯の美 ― 遠州好みの世界』展図録、2016年。
- Rijksmuseum Collection, “Theekom (Tea bowl), AK-MAK-851”, Amsterdam, CC0 1.0 Public Domain.
- Wikipedia「古曽部焼」(2025年10月閲覧)